校歌
COLLEGE SONG

作詞: 宮 柊二
作曲: 小松 清

高志台 われら仰が
技術
明晰 めいせき にして 深きもの
長岡高専 われら仰が
東山 つらなり立ちて
霜くだる あかつきの空
月冠 つきかんむり と かかりたり

高志台 われら望ま
科学
精詣 せいけい にして 厚きもの
長岡高専 われら望ま
信濃川 下るを めず
耕して  はる かなる岸
露閃々 つゆせんせん と 光りたり

高志台 われら誇ら
工業
綜合 そうごう にして つよ きもの
長岡高専 われら誇ら
新しき 炎のこころ
生みなさ  未来の世代
わが 胸底 きょうてい は そこにあり

ここをクリックすると校歌を聴くことができます。

3Dサウンド版(イヤホン(両耳)で聴くと、いろいろな場所から音が聞こえます。長岡高専では、このような技術も学べます。)

歌碑

校歌の由来(「長岡高専二十年史」より抜粋)

40年度に入ると、学生会幹部は6月1日の創立記念日を期して大規模な学生祭の開催を計画したが、この計画は「来年の学生祭(第1回高志祭)のために力を蓄積」するという学校側の要請を容れて、講演会を除いて全部廃案となったのである。 これに対して「ふがいない学生会、理解のない学校側という批判はあったが、学生会は文化部を中心に第1回高志祭開催を目標にして着々と文化的活動を行っていった。
こうした雰囲気の中で、5周年を記念するこの学生祭への関心を高め、一つの推進力となったのが、校歌の作成、制定であった。高専学生の一体観を育む意味で校歌の作成は重要で、創立当初より要望され、また学生会会長も選挙時の公約に褐げたこともあった。たまたま39年11月26日(木)、歌人宮柊二氏が講演のため来校された。この時、校長をはじめ2・3年の上級生が宮氏に校歌の歌詞創作を依頼したが、宮氏は「若き感情と短歌」と題する講演の後で「諸君が喜んで唱ってくれるなら作りましょう。」と約束された。宮氏の作詞が翌々年41年2月13日にもたらされたあと、作曲家小松清氏によって5月17日作曲ができあがり、こうして校歌は41年の春には完成した。その後、高志祭が終ってから、宮・小松両氏の来校をお願いし、42年11月27日演奏発表会が体育館において全職員・学生のの出席のもとで行われたのである。

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