「自立するための5年間」で人生の土台を築く

陽田 修さん

長岡高専 環境都市工学科 教授

陽田 修

経 歴

1989年  長岡高専 土木工学科 卒業
1989年  株式会社 福田組 入社
1993年  株式会社 大石組 入社
2017年  長岡工業高等専門学校 環境都市工学科 特命教授
2022年より同学科 教授
詳細はこちら:https://kankyo.nagaoka-ct.ac.jp/staff/youda-osamu/

土木技術者への第一歩

──長岡高専の受験は、先生やご家族に勧められたのですか。

 いえ、自分で希望しました。実は、中学校での成績はそれほど良かったわけじゃないので、むしろ担任の先生からは「厳しいと思うよ」と言われていました。でも、受験日が他の学校よりも早かったこともあり、ダメ元で受けてみたんです。そしたら、運よく合格しました。

──まずはチャレンジすることが大事ですね! では土木工学科(現・環境都市工学科)を選れたのは、なぜですか。

 実は、元々は建築がやりたくて。今の学生を見ていても「自分と同じだなぁ~」とつくづく思うのですが、当時は土木と建築の区別がついていなかったんですよ。ただ、私の場合はインフラの整備が急速に進むのを目の当たりにした世代なので、「土木事業によって生活がこんなに便利になるんだ」と身近に感じていて、興味は持っていました。

 出身は南魚沼市で、浦佐駅に近い山間地の生まれです。冬になれば4メートル近い積雪になる豪雪地で、あちらこちらが通行止めになりました。なので、冬季は中学校の近くに下宿していたんです。でも、私の卒業後にトンネルができ、道路がつながり、冬でも通学できるようになりました。上越新幹線が開通したのも中学2年生の時で、インフラ整備の影響力を非常に感じていましたね。

人間的に成長できた寮生活

──高専生活では、どのようなことが印象に残っていますか。

 思い出されるのは、勉強以外のことばかり(笑)。寮生活では特に密度の濃い時間を過ごしまた。当時はまだ上下関係が厳しかったので、1学年の上の先輩から説教されて寮生活が幕開けしましたが、半年も経てば、先輩ともすっかり仲良くなりました。育った環境が違う人たちと共同生活を送るとことで、人によっていろんな考えがあることを知り、そこから刺激を受けて、自分の世界も広がっていきました

──先生ではなく、先輩・同級生に教わるという体験も新鮮だったのでは。

 そうですね。日々、新しい発見がありましたね。2年生になれば、すぐに指導する側になるので、1年生の時に「なんで、こんなことする必要があるんだろう」と疑問に感じていた慣習は、見直していこうと働きかけました。

 4年生の時には副寮長も経験し、自分を成長させることができたと思います。寮全体のために、自分が正しいと思ったことでも、皆が納得するとは限らなくて、いかに合意形成していくのかを考えるようになりましたね。集団生活の上では当然、規則も必要になってくるのですが、自由とのバランスをどう保つかは、本当に頭を悩ませながら運営していました。

 現在も「寮友会」という組織がありますし、寮に入らなくても、学生会に参加することもできます。たしかに運営の仕事に携わるのは大変なことかもしれませんが、それをやり遂げられた学生が学ぶことは多いと思います。

──高専で得られた経験や人脈が、大きな財産になっているのですね。

 私が「長岡高専で良かったな」と何より思うのは、卒業後も続く人とのつながりを得られたことです。同じ学科の同級生とは、社会に出てから、同じ建設分野で働いていても設計側、発注側と異なる立場で情報交換ができたり、互いに理解者になれたり。10歳以上離れている先輩・後輩とも“高専卒”というだけで、距離が縮まり、そこから信頼関係を築くことができました。高専教員のオファーをもらった時も、14歳年上の大先輩に相談に行ったんです。「応援するよ」と背中を押してもらいました。

技術を次の世代につなぐ

──民間企業では、どのようなお仕事をされていましたか。また、どういった経緯で教員として着任されたのですか。

 会社員としては2社の建設会社で、現場技術者として構造物を造る仕事をしていました。主に手掛けていたのは、橋の支柱や下水施設などで使われるコンクリート構造物です。業務を通じて高専に関わる機会もあり、システムデザイン・イノベーションセンターには当初、企業側の立場で参加していました。恩師の先生にも仕事の相談をさせて頂くなど、卒業後も学校と接点を持ち続けていて、それがだんだんと濃くなって、再び教員として戻ってくることになりました。

※システムデザイン・イノベーションセンター: 学生が企業と一緒に課題を解決することを目指して、2015年に設立された組織(https://www.nagaoka-ct.ac.jp/college-info/facility-info/sdic/

──教育に対しては、どのような思いを抱いていらっしゃいますか。

 企業に在籍していた頃から、現場責任者として部下を育てる立場になり、若手社員を集めて勉強会を開くなど、技術を次の世代に伝え、つないでいくことを考えるようになりました。技術者育成の難しさを実感しながらも、専門的な知識だけでなく、土木技術者としてのマインドも伝えていきたいという思いが強まっていた頃、高専からのオファーを頂きました。自分も学んだ場所で、技術者の卵である学生に、これまでの経験で培ったことを伝えたいという思いから、教員になりました。

道路橋のコンクリート床版を調査する様子

──実際に学生と接する中で感じたこと、大切にされていることは。

 着任したばかりの頃は、会社にいた時の感覚で授業をしてしまい、学生に何にも伝わらなかったんです。最初は我々がやってきたことを伝えようという気持ちが強すぎて、一方的だったんですね。でも、今の学生の考え方や受け止め方に沿って、伝え方を工夫する必要があると気づき、試行錯誤を続けてきました。

 2年目に初めて研究室(土木施工研究室)を持った時も、「教えなきゃ、先導しなきゃ」という気持ちで指示が多くなってしまったのですが、それは学生自身が考える機会を奪ってしまうことになりました。そこで、翌年からは、一緒に考えてディスカッションをしていく、という姿勢に方向転換しました。学生のアイデアや着眼点がヒントになって議論が進むこともありますし、雑談の中では今の学生が何を考え、何を求めているのか、気づかされることも多いです。日頃から、双方向のコミュニケーションを大切にしています。

土木施工研究室の学生たちと(2023年2月撮影)

──先生がOBだと、より親近感がわきますね。“実は学生の頃に苦手だったこと”も教えてもらえませんか。

 授業では、物理がまったくダメでした(笑)。学生のうちは、なんとか試験さえクリアできれば、という考えでいましたが、土木技術者として構造物を扱う上でも物理は不可欠。社会に出てから、実際に扱う現象と教科書にあった知識が結びけられるようになりました。そんな自分自身の経験もあって、現在のカリキュラムの中で、例えば土質実験をしている時など、「これも物理なんだよ」と意識的に伝えるようにしています。私のように教科書での物理が苦手な人にも、公式を丸暗記するんじゃなくて、経験的な知恵として、染み込みやすい形で捉えてもらえたらと思っています。

──後輩でもある高専生、そして高専を目指す人にメッセージをお願いします。

 高専の5年間は、自立するための期間です。15歳から20歳という人間形成の大切な時期に、さまざまなチャレンジができる環境が、高専にはあります。たとえ、失敗しても大丈夫。赤点を取ったとしても、クラスで最下位だったとしても、社会に出れば大きな問題ではありません。失敗したら、それを繰り返さないように学び、リカバリーしていけば良いのです。高専生にはその時間が、5年間与えられています。

 私自身、高専をきっかけに多くの人と出会い、人に支えられてきた中で教員として戻ってくることができました。一人だけで頑張るのには限界がありますが、いろんな人の考えに耳を傾け、助け合いながら、自分を磨き、大きな目標に向かっていってほしいと思います。

【取材・文】堀川 晃菜(長岡高専2007年卒)

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