失敗は成長のチャンス、得意を伸ばそう!

鈴木 秋弘さん

長岡高専 物質工学科 教授/副校長

鈴木 秋弘

経 歴

1981年  長岡高専 工業化学科(現・物質工学科) 卒業
1983年  長岡技術科学大学 材料開発工学課程 卒業
1985年 同大学大学院 材料開発工学専攻(修士) 修了
同  年  長岡高専 工業化学科 助手
1989-90年 京都大学 工学部 文部省内地研究員
1996年  長岡高専 物質工学科 助教授
1998-99年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA) 文部省在外研究員
2007年 長岡高専 物質工学科 教授
2019年 長岡高専 副校長
詳しくはこちら: https://material.nagaoka-ct.ac.jp/staff/akihiro-suzuki/
外部ページ参照: http://researchmap.jp/read0177859

“型破りな”教師たちに囲まれて

──鈴木先生は、どんな学生時代を過ごしましたか。影響を受けた人はいますか?

 私が通っていた中学校の先生方がユニークで、知らずと影響を受けていたと思います。3年生の時の担任は、社会科の先生だったのですが、授業でまず紙が配られ、そこに日本地図を描き、自分で調べたことを記入するという、今でいうアクティブラーニングを経験しました。おかげで社会も好きになり、中学生の時はどちらかというと文系が得意でした。理科の先生も、授業の最初に毎回、実験をして、生徒が楽しみながら興味を持てる仕掛けをしてくれていました。大体いつも教務室にはいなくて、実験準備室で作業されていた姿が印象に残っています。

 高専でも思い出されるのは、演劇の要素を取り入れた授業をした英語の先生や、実は光化学の専門家だった数学の先生など、ちょっと型破りで“変わり者”な先生たち。「勉強って、教えられるものじゃなくて、興味を持ったら自分でやるものなんだ」と気づかせてくれましたし、「知識を与えられるのを待っていたらダメだ、自分でやるしかない!」と思うようになりました。

──文系の方が得意だったんですね。高専を選ばれたのは、なぜですか?

 高専のことは、叔父に聞くまで知らなかったのですが、実験・実習が多いと知って魅力を感じました。兄も工業系の学校に進学していたので、自分もなにか専門性を身に付けたいと思い、高専を選びました。

──そして、有機化学の道を選ばれていったのですね。

 フラスコの中で薬品を混ぜたら別の物質ができるのが、純粋に楽しかったんです。高専では、A+B→C でも、答えがCと覚えるだけでは試験をクリアできません。どうしてCになるのか、その過程の反応機構をきちんと説明できないといけない。つくりたい分子の構造を考えて、どう合成するのか戦略を立てることを「分子設計」と言いますが、そのロジックも含めて、面白いと思うようになりました。卒業研究(卒研)も、有機合成化学の先生にお世話になりました。

分子模型を手に有機化学の面白さを語る鈴木先生

まさかの出来事で高専の教員に!

──高専を卒業後の進路はどのように決めましたか。

 高専卒業の2年前、ちょうど卒研が始まった頃に、長岡技術科学大学が新設されました。ある日、指導教官の先生が「今度、新しい大学に京都大学から先生が着任されるそうだよ」と化学の月刊誌を見せてくれて。紙面では、有機合成・生体関連化学で有名な先生が、ご自身の研究分野の面白さや、新天地での活動に向けた意気込みを語られていました。すっかり惹き込まれて「この先生の研究室に行きたい! 」と進学を決意しました。

──その頃から「将来は先生になろう」と思っていたのですか?

 全然そのつもりはなかったんです。大学では希望通りの研究室に入ることができ、記事で見た憧れの先生は、恩師となりました。研究もますます面白くなりましたが、当時は修士課程までしかなかったので、民間企業の採用試験を受け、内定をもらいました。

 ところが、内定式の案内が、なかなかこない。おかしいと思って、先生に尋ねると「そうか、言っていなかったな……。それ、断っといたわ。鈴木、高専に戻れ」と言われたんです。今じゃ考えられない話ですが(笑)、母校ということもありましたし、当時、同じ研究室の助教授だった先生が「高専の先生は“一国一城の主”になれる(自分の研究室を主宰できるという意味で)。独立できるなんて、すごいよ。恵まれているんだよ」と背中を押してくれました。

──衝撃の展開ですが、前向きに受け止められたんですね。

 そうですね、かなり特殊なパターンで高専の助手に就いて、今に至りますが、長年、研究ができる環境に身を置けたことは幸せでした。

 応援してくれた助教授の先生も、その後、独自のキャリアを歩まれたのですが、最近、恩師の米寿のお祝いの会で、「起こったことがベスト」という言葉を寄せられて、それが非常に印象的でした。自分に起こったことを受け入れることが重要なんだ、と。理想通りじゃなくも努力すればその道がベストだと思えるようになるのだと思います。自分で納得できれば、幸せな道を歩んできたと思える。そうじゃなかったら、ただ愚痴をこぼしているだけの人生になってしまいますからね。

──思い通りにいかなくても、結果オーライになれば(なるようにすれば)いいと。

 人それぞれのタイミングってあると思うんです。私は高専で働きながら、論文博士を取りましたが、これも専攻科を設置するため、教員の博士号取得者を増やそうというのが、きっかけでした。そして、博士号を取得したことで、文部省在外研究員として海外の大学で研究するチャンスにも恵まれました。その時も、予定していたスイスの大学の受け入れ可能な時期が合わず、紹介されたアメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に行きましたが、公私ともに素晴らしい体験ができました。

原石を見つけ、磨く5年間に

──でも、成績順位や同級生と一緒に進級・卒業できるか等、気にする学生も多いのでは。

 大事なのは、自分としっかり向き合うことです。成績が何位だったとか、何年卒とか、社会に出れば数字に意味はなくなります。仮に原級(留年)したとしても、実力と自信をつけてから、社会に出た方が良い。これまで見た学生にも、留年したことで覚醒して、本腰を入れた結果、編入学で大学・大学院まで進学した人もいます。学業面でも、対人面でもチャンスはいくらでもあります

 「失敗=悪」だと思わなくていいんです。失敗してもチャレンジすることが大事なのです。たまたま上手くいくより、失敗を経験した方が、過程から学ぶことができます。高専での卒業研究も、研究成果はすぐに社会の役に立たないかもしれませんが、研究を通じて物事の進め方を身に付けることが大事で、それは応用が利くものです。

学会発表に参加した鈴木先生の研究室のメンバー(2023年1月)

──教員として、学生にどんなことを伝えていますか。

 進級すると専門科目も増えて、好き・嫌いもあるでしょうが「得意なこと・できることをどんどん伸ばしたら」と言っています。私も数学は好きでしたが、高得点は取れませんでした。好きだからと、もし数学を仕事にしていたら、苦しんでいたかもしれません。でも、得意なこと・できることなら、だんだん好きになっていけるんじゃないかと思います。

 学生にも「もし自分が採用するなら、全部平均点の人と、凸凹はあるけど秀でたものがある人、どっち?」と聞くのですが、社会に出るときには「あなたには何ができますか」と問われます。だから、きらりと光るもの、これは得意で、誰にも負けないと思えるものが1つでもあると自信につながると思います。

──高専に進学する「最大のメリット」をどう生かしてほしいですか。

 高専5年間を3+2と捉えると、高専生は、中学校の同級生たちが先に大学受験や就職という人生の岐路を迎える中、同じ3年生の段階で、あと2年自分の進路を考えて、準備する時間が与えられています。「何のために大学に行くのか、就職して何がやりたいのか」、3年生の担任を受け持った時は、いつも問いかけています。そして、高専生は、単に偏差値だけで線引きされずに、自分の強みを自分で伸ばすことで、夢に近づくことができます。勉強すること、そのものより、「何のために、どう動くのか」を考える訓練を積めることが、高専生の最大の強みです。失敗を恐れず、人目を気にせず、存分にチャレンジしてほしいですね。

【取材・文】堀川 晃菜(長岡高専2007年卒)

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