私を研究者・教員に導いてくれた高専

上村 健二さん

長岡高専 電子制御工学科 准教授

上村 健二

経 歴

2002年 長岡高専 電子制御工学科 卒業
2004年 千葉大学 工学部 情報画像工学科 卒業
2006年 同大学大学院 自然科学研究科 知能情報工学専攻 修士修了
2009年 同大学大学院 自然科学研究科 情報科学専攻 修了、博士(工学)
同 年 オリンパスメディカルシステムズ株式会社 主任研究員
2013年 長岡高専 着任、2015年より准教授
(詳細はこちら:https://www.nagaoka-ct.ac.jp/ec/labo/cvip/

「高専=就職に強い」が進学の決め手

──高専を知ったきっかけ、電子制御工学科を志望した理由を教えてください。

 高専のことは、中学校に掲示されていたポスターか、知人からの紹介で知ったと思います。オープンキャンパスに参加したり、資料を集めたりする中で、高専生に対する求人倍率の高さに驚き、進学先に決めました。学科は、もともとパソコンやポケコンが好きで、自分の興味に一番近い分野だったことから選びました。

※ ポケコン(ポケットコンピューター):1980年代に広く使われた携帯用小型ポケットコンピューター。2000年頃まで使われていた。

──高専の授業の中で印象に残っていることは?

 当時は、市販の炊飯器の制御回路を取り外し、自分たちのプログラムで制御して炊飯する実験があり、特に印象に残っています。また、電子制御工学科は、1990年に機械工学科2学級のうち、1学級を改組して新設された学科なので、鋳造や旋盤を扱う機械実習もありました。

 あとは授業中に、先生から「全然ダメ(物理か電磁気)」と「これじゃ売り物にならないよ(回路)」、「……どうした?(数学)」と言われて、ちょっと傷ついたり(笑)。中学校では、厳しい指摘を受けることもあまりなかったので、高専では社会に通用するレベルが求められているんだと、随所で感じましたね。友人がテストを返却された時に「これ10点満点だよね?」と言っていたのも覚えています。100点満点だったんですけどね(笑)。

──先生にも、苦手なことはありましたか? 

 今でもそうですが、実は覚えるのがあまり得意ではありません。高専生の時は試験前になると、科目ごとに出題傾向を分析して、効率的に勉強することを心がけていました。大学の編入学試験や、編入後に苦労したのは、英語と化学です。私は、千葉大学の情報画像工学科に編入学したので、写真に関する知識として有機化学を履修する必要がありました。編入学の試験科目に化学はありませんでしたが、結局、避けては通れず、苦手なことは早めに乗り越えておく方が良いというのが、教訓ですかね。

──大学で「高専で学んでおいて良かった」と思ったことはありますか?

 編入学すると(1年生から大学にいる同学年の人と比べると)不足分の単位を取得しなければなりませんが、一部は高専で習った内容だったので、復習になりました。あと、やはり高専からの編入生は、実験・実習に強いですね。機器の扱いにも慣れていて、すぐに手が動かせます。レポートなどに関しても、高専の卒業研究を通じて一通り、論文をまとめるところまで経験を積んでいるので、それほど苦労することはありませんでした。

研究者の道に進むきっかけ

──大学に編入学することは、いつ頃から考えていましたか。

 もともと、就職に有利という理由で高専を選んでいましたし、5年生の4月の時点でも就職を希望していました。勤務地の希望などもリストアップして、いざ就職担当の先生に求人情報を聞きに行ったら「考え直せ」と1時間くらい説得されまして……。それで進学を勧められてから、大学を探し始めたので、試験対策をしたのは実質2~3カ月間でした。

 今思えば、学生ひとり一人の適性を見抜いてくれていたんでしょうね。振り返ってみれば、進学して良かったと思えます。分野は大きく変えなくても、違う環境で挑戦できたことが良かったです。環境を大きく変えるチャンスって、人生でそう何度もあることではないと思うんですよね。大学に行っていた兄の勧めで、総合大学を選んだので、分野が全く異なる人たちとも接点ができ、視野が広がりました。

──ご自身の専門性はどのように究めていったのですか。

 私が高専生の頃は、ちょうどデジタルカメラが出始めた時代で、これを研究してみたいと思い、高専の卒業研究でも簡単な画像処理は扱っていました。その時、参考文献にした書籍の著者が千葉大学の先生で、編入後はその先生の研究室に所属しました。なので、高専の卒業研究(卒研)がきっかけとなり、大学の学部で画像工学を中心に学び、大学の研究室で本格的に専門性を深めていったということになります。

──民間企業の研究者としては、どのようなお仕事をされていたのですか。

 主に、内視鏡と組み合わせて使用する医療機器の開発を行なっていて、その装置の信号処理技術などを扱っていました。開発のフェーズとしては医療機器の試作段階まで経験しました。高専に着任してからは “人間の目の代わり”として画像処理をどのように応用できるかという視点で、例えば、建築の分野では構造物の評価など、環境都市工学科の先生方ともコラボレーションしています。これまでの医療とは異なる分野でも、発想として参考にできることもあります。

──高専教員になった経緯は? これまでのご経験はどのように生かされていますか。

 卒研の指導教員だった高橋先生から教員職にお声がけいただきました。実は、博士号を取得した後にも一度、お声がけいただいたのですが、その時は就職して間もなかったので、その後、2回目のオファーをもらった時に決心しました。

 そういった経緯もありますので、なるべく実際の製品開発で使われていた内容を重点的に伝えるようにしています。プログラム作成における小技、実践的なテクニックなど、実用的な、使える知識や技術を身につけてもらえるように心がけています。

講義をしている様子

 もう一つは、教員は学生にとって身近な社会人だと思いますので、「働き方」という姿勢で示せることもあるのかなと思います。私も学生時代は、体力の続く限り、がむしゃらに活動していたこともありますが、企業での勤務経験を経て、仕事とプライベートのバランスをとることも心がけるようになりました。

長岡高専の「ここが変わった!」

──再び母校に戻られて「高専の進化」を感じることはありますか。

 まずは、カリキュラムがよく練られたものになっている点です。履修科目の目的が明確になり、科目のつながりも良くなっていると思います。また、英語力についてもかなり強化されていると感じます。学生寮を含め、生活環境や実験・研究のための設備もさらに充実して、低学年から「研究」に触れられる機会も増えています。

研究室にAIロボットを導入した時の様子

──在学生や進学を考えている中学生に「今、大切にしてほしいこと」は何ですか。

 まとまった時間を確保できるのは学生の、とりわけ高専生の特権だと思います。私の場合は、色々なアルバイト経験や、インターンシップを通じて、働き方と給料の関係を知ることができたので、将来を考える際に大いに参考になりました。

 また、高専には県内外から学生が集まります。私は在学中に二輪、四輪の免許を取得して、友人の家に遊びに行くなど、さまざまな場所に出かけました。実際に足を運ぶと、歴史的なもの、文化的なものに触れることができ、見識が広がります。旅行でも何でも、時間をかけられるうちに思いっきり挑戦して、人生の豊かさにつなげてほしいですね。

【取材・文】堀川 晃菜(長岡高専2007年卒)

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