高専生の強みは「学び続ける」ことで輝く

村山 達也さん

オムニ技研/北越コンサルタント 代表取締役/長岡高専 特命助教

村山 達也

経 歴

2004年 長岡高専 環境都市工学科 卒業
2006年 長岡技大 環境システム工学課程 卒業
同  年 オムニ技研 株式会社 入社
2012年 株式会社 アクセルコーポレーション設立に従事
2018年 北越コンサルタント 株式会社を起業、代表取締役就任
2022年 長岡高専 特命助教 兼任

子ども扱いはしない、専門教育の場

──高専に入学したのは、どんなことがきっかけでしたか。

 中学校の技術・家庭科の先生に「村山くんは高専に行ったら?」と勧められたのがきっかけです。私の父が、建築系の職人で自営業をしていたこともあり、環境都市工学科であれば、いずれ父の役にも立てるかもしれないと思いました。祖父も高専を目指すことを応援してくれて、受験の時期が一般高校よりも早かったので、まずは挑戦してみました。

──実際に高専に入ってみて、驚いたことは?

 私は小国町(柏崎に近い長岡市)の出身で、同じ中学校から進学した同級生はいませんでした。進学後も中学時代の同級生から高校の話を聞く中で、まず違いを感じたのは、専門性の高さです。1コマ90分(現在は100分)の授業は、いきなり大学生にジャンプしたような感覚でしたし、基礎科目でも、進め方やスピード感が全く違いました。例えば、数学も、数Iや数Aではなく、1年生から微分積分、線形代数といった大学と同様の教科書を使います。専門科目では、水理実験室で人工的に波を起こす特殊な装置を目にした時に、本格的な実験設備が充実した環境で学んでいることを実感しました。

──学業以外では、どんな思い出がありますか。

 学校行事の中では、体育祭になると、みんな気合いが入っていたのを覚えています。また、私は自宅から通学する、いわゆる通生(つうせい)でしたが、クラスメートの寮生が親元を離れて自立した生活を送っている姿は「カッコイイな」と思っていました。

 高専では、寮生でも通生でも、子ども扱いされているという感覚は全くなかったですね。学業面においても生活面でも、先生から頭ごなしに指導されるということはなかったです。学生を信用して、自主性を尊重してくれていたのでしょうね。例えば、服装に関しても、そもそも制服がないので細かい規則はないし、学生として、きちんとやるべきことをやっていれば、ある程度は本人に任せて見守る、というスタンスだと思います。

卒業研究の指導教官である恩師の山口肇先生、同級生と村山さん(右)

社会に出て「高専ブランド」を実感

──進学や就職については、どのように決めましたか。

 高専を卒業して就職するつもりでしたたが、親から強く勧められたので、とりあえずダメ元で編入学の試験を受けました。でも、今では進学を勧めてくれたことに感謝しています。地元で生きていくうえで「長岡高専」と「長岡技大」(長岡技術科学大学)のネームバリューは大きいと実感しています。

──特に学校のブランド力を実感したのは、どんな時ですか。

 実は、土木・建築業界とは全く違う分野に憧れて、大学の学部生で就職活動を行いました。ホテルの接客業や、大学で高校の教員免許も取得していたので、塾講師の採用試験も受けました。でも、なかなか、うまくいかず……。私は長男ということもあり、改めて地元企業を探す中で、現在の会社を見つけ、応募したら、すぐに採用が決まりました。この業界では高専や技大は信頼されている学校なんだなと、他の業界にも触れたことで余計に感じましたね。

──「高専生の強み」はお仕事をする中でも、感じられますか。

 弊社は2000年創業の比較的、最近の会社ということもあり、新しいことには挑戦しやすい社風です。私が社内ベンチャーの立ち上げに起用されたもの、異分野に進出するにあたり、高専でさまざまな技術に触れてきたことが生かせると判断されたのだろうと思います。

 弊社は、地盤の調査や改良工事を主に行うので、大型トラックなど100台以上の車両を保有しています。その車の保守点検の業務から派生して、特殊車両の架装を手がける会社「アクセルコーポレーション」が誕生しました。トラックの荷台など、目的に応じて車両に積載されている装備を「架装」と言います。実はその製造はトラックメーカーではなく架装専門のメーカーが担当していることが多いんです。

 新会社を設立する上で、許認可を取得するのが私の業務でしたが、例えば、荷台の強度も計算して届け出る必要があります。構造設計をする時も、高専で使っていた教科書を引っ張り出して、まさか、こんな形で構造力学の知識が役立つとは思いませんでしたね。また、財務書類を見る上でも、高専で数字に強くなっておいて良かったです。学んだことが、どこでどう役立つかは分からないものです。

 現在は、構造設計の一部をAI(人工知能)に任せる技術の開発や、発電機を蓄電池に変更するなどのサスティナビリティな業務改善に取り組んでいます。外部の技術者と打ち合せる中で、機械、電気、情報工学など専門外の領域との接点が増えています。今後ますます技術の複合、分野の融合が進むと思いますが、専門が異なる人と話すためのベースとして、工学の基礎や論理的な考え方が必要になると思います。

北越コンサルタントの業務でインフラの点検をする様子。写真中央が村山さん。

──村山さんが、技術者として大切にしていることは?

 私は技術者16年目になりますが、長く続けるほど関わる領域も広がっていて、あらゆることに嫌悪感を持たずにチャレンジすることが大事だと思っています。知ったかぶりをせず、分からないことは素直に教えてもらいながら、その時に必要になった知識や技術に、真摯に向き合うことも大切です。いつでも学び直すことはできます。

──長岡高専の特命助教になられたのは、どのような経緯だったのですか。

 インフラのメンテナンスに関する業務がきっかけです。橋などの構造物の点検・保守業務を独立させる形で北越コンサルタント」を起業したのですが、「長生橋を愛する会」という組織には事務局として参加し、そこで井林 康 先生に再会しました。いま、インフラも高齢化が進んでいて、長岡を代表する長生橋も2017年に80周年を迎えました。

 この活動を機に、特命助教として新たなカリキュラムづくりに参加しました。今後は主に実務家教員として、インフラのメンテナンスに関するリカレント教育(社会人の学び直し)を行う「REIM長岡高専」に携わる予定です。特命助教になったことは同級生にも驚かれ、私自身も予想外の展開でしたが、先生方が学生のことを考えている姿、熱量、勉強量を目の当たりにして、改めて高専の先生のすごさを実感しました。

──「技術士」の資格についても教えてください。

 私は入社時に会社から取得するよう勧められました。在学中はそれほど意識していなかったのですが、大学のカリキュラムで日本技術者教育認定機構(JABEE)に認定されたプログラムを修了していたので「技術士補」の試験が免除されました。そこから、さらに実務経験を積むと「技術士」を受験できます。この時も高専の教科書で復習し、試験対策をしました。改めて、高専では一通りやっていたんだ、と思いましたね。技術士会には2016年に入会し、こうしたコミュニティで同業者と情報交換をしながら、信頼関係を築いていくことが、また新たな仕事につながっています。

──学生に向けてメッセージをお願いします。

 資格は早いうちに挑戦してみると良いと思います。大人になって仕事や家庭を持つと、なかなか勉強時間も確保しにくくなりますし、早く取得できた分、資格の恩恵も長く受けられます。とはいえ、将来が見えないうちは、勉強も漠然とやってしまいがちです。でも、決して無駄なことはないので、在学中にできる範囲で自分の武器を増やしてほしいです。それに、社会人になってからの勉強は、楽しいですよ。卒業後も学び続けることで、高専生としての強みが輝くと思います!

【取材・文】堀川 晃菜(長岡高専2007年卒)

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