技術者に大切な“ゲン”は高専で学んだ

青木 怜史さん

ダイニチ工業株式会社

青木 怜史

経 歴

2008年 長岡高専 電子制御工学科 卒業
2010年 長岡高専 専攻科 電子機械システム工学専攻 修了
2012年 新潟大学大学院 自然科学研究科 電気情報工学専攻 修士修了
2012年 ダイニチ工業株式会社 入社
~ 現在  生産本部 製品組立部 製品1課 主任

厳しくも楽しい高専生活

──高専に進もうと思ったきっかけは?

 実は、普通高校に進学しようと思っていました。ちょうど学校の三者面談で進路の話し合いをしている時に、親が「知り合いに長岡高専の卒業生がいる」と話したことがきっかけで、進学先の候補に挙がりました。高専を知ったのも、その時が初めてです。

──学科はどのように選択しましたか。オープンキャンパスなどに参加して?

 オープンキャンパスや学園祭に来る人も多いと思いますが、私は自宅が南魚沼市で遠かったこともあり、オープンキャンパスには参加していませんでした。初めて学校を訪れたのは受験の時です。

 元々、数学や理科、機械いじりが好きだったこともあり、進学するなら、機械、電気、電子制御のいずれかだと思っていました。電気工事関係の仕事をしていた父に相談したところ「これからはコンピューターの時代が来るだろうから、電子制御がいいんじゃないか」と助言されて、電子制御工学科を選びました。

──入学後は寮に入ったのですか?

 いえ、電車とバスで1時間以上かかりましたが、頑張って自宅から通っていました。4年生の後半から卒業研究が始まると、学校にいる時間も長くなるので、終電で帰った日もありましたね。特に意識していませんでしたが、移動時間に仮眠をとるなど、自然と時間をやりくりするようになりました。

──高専のカリキュラムや環境はどうでしたか。

 やっぱり実験や実習が多かったです。学年が上がるにつれ、どんどんその割合も増えていきました。その分、設備面も充実していて、実験道具や機器も整備されていました。

 講義で印象に残っているのは、数理演習の授業です。最初の基礎のうちは、先生も「中学校で習った知識で解ける」って言うんです。でも、だんだんと応用問題にレベルアップしていくと歯が立たなくなって。居残りをした記憶があります(笑)。戸惑いもありましたが、今振り返ると、単に数式を解くだけでなく、考え方やアプローチの仕方を身につけるという意味でも“応用” だったのかもしれません。進級すると専門科目で微分積分などの計算をする機会も増えるので、低学年の時から徐々に鍛えられていったように思います。

──学業以外では、どんなことが印象に残っていますか。

 「電制祭」という電子制御工学科の研究室対抗で行う球技大会です。私が4~5年生の時、所属していた研究室が主催となって立ち上げたイベントなのですが、現在も続いているそうです。当時、私たちの指導教官の外山茂浩先生が着任されたばかりで、学科内の教員や学生の間で親睦を深めようと企画しました。体育館を借りる手続きをしたり、トロフィーを用意したり、研究室のメンバーとおそろいのユニフォームを作ったり。大会当日は、野球やフットサルなどの種目に先生方も参加してくれて、いつもと違う一面を垣間見ました。みんなの距離が縮まって、とても楽しかった思い出です。

記念すべき第1回「電制祭」

卒業研究で味わった達成感

──研究室の配属はどのように決まりましたか。

 私の時は、クラス内で希望を出し合い、定員超えの場合は成績順で決めていたと思います。私は機械系が好きだったこともあり、機械制御を行う研究室を選びました。私が取り組んだのは、小型船舶の揺れの軽減を目指した研究です。例えば、救急車には患者さんを乗せた時に車の振動を伝えないようにする防振装置がありますが、離島では、小型船舶で患者さんを搬送することも珍しくありません。そこで「防振架台」という振動が伝わるのを抑制する装置について研究していました。

──研究はどのように進めていったのですか。

 はじめは計算したり、シミュレーションしたりしていました。バネを用いた機構を考えていたので、人の体重など、さまざまな条件を考慮しながらバネに求められる特性を計算し、実験装置を手作りして検証していました。

 当初は、高専を卒業後は他大学に編入学することを考えていたのですが、この研究をもっと深めたいとの思いから、専攻科へ進むことにしました。そして最終的には、人が乗れるくらいの大きさの装置を作って検証しました。バネもメーカーとやりとりして特注品を作ってもらいました。基礎研究から始めて、実際にこのスケールまでこぎつけることができたので、達成感は大きかったですね。

──その後、新潟大学の大学院で修士課程を修了後、現在の職場に就職されたのですね。

 はい。大学院では、高専でやってきたことをさらに深めることができました。高専での研究経験があったので、大学院でもすんなりと研究活動に入ることができました

 ちなみに、後から分かったのですが、同期に入社した人の中には、高専から新潟大学の学部3年次に編入し、同大学の大学院に進学していた人もいました。高専の時も接点がなく、大学院でも学科が違ったので、知り合ったのは入社してからなのですが、その人を見ていても、やっぱり仕事の段取りや、実験の手際が良くて「やっぱり高専生だなぁ」と感じます

──青木さんはどのようなお仕事をされているのですか。

 弊社は石油ファンヒーターや加湿器などを手掛けるメーカーで、私は生産技術職として働いています。入社3年目までは製造設備に携わりました。電気回路やプログラミング、機械設計ではCAD(コンピューター支援設計)を扱っていました。4年目からは、製造ラインで、より効率的に製品の組み立てができるように、ライン工程の分析や、工場レイアウトの3Dシミュレーションなどを行っています。

「5ゲン主義」の姿勢は高専で培った

──高専で身に付けたことは、どのように役立っていますか。

 高専では、基礎をすごく大事にしていると思うんです。例えば、数学は公式を丸暗記するのではなく、公式の導き方から習うので、公式を忘れたとしても怖くない。しっかり基礎を固めたからこそ、応用が効くようになったように思います。会社でも「5ゲン主義」という言葉がよく使われるのですが、これは現場・現物・現実に加えて、原理・原則を重視する考え方です。これは高専の教育にも通じるものがあると思います。

 仕事では、人に説明をするときにも「原理・原則」を意識するようにしています。製造設備の業務では、主に機械を相手にしていましたが、現在は製造工程の全体を把握する立場で、他の社員とやり取りをする機会も増えました。

 例えば、製造ラインの改善を図るときも、今のやり方を単に「これはダメ」というだけでは、人は動かないと思うので、何がどう違うのか、筋道を立てて説明することを心がけています。人に伝える場面では、高専でたくさんレポートを書いて鍛えられた「まとめて伝える力」も活かされているかもしれませんね。

──最後に、学生の皆さんにエールをお願いします!

 高専では、15歳から「生徒」ではなく「学生」として扱われます。自分で考え、自分で行動しないといけない場面もたくさんあると思います。そこには責任も伴いますが、学業面だけでなく、人間的にも早期に成長できる環境と言えるのではないでしょうか。常に「考える能力」を身に付ければ、社会に出てから、どんな職業に就いても役立つはずです。ぜひ充実した学生生活を送ってください。

【取材・文】堀川 晃菜(長岡高専2007年卒)

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