高専で心を開けば、能力も開く

堀川 晃菜さん

サイエンスライター・科学コミュニケーター

堀川 晃菜

経 歴

2007年 長岡高専 物質工学科 卒業 2009年 東京工業大学 生命理工学部 卒業 2011年 同大学大学院 生命理工学研究科 修了 農薬・種苗メーカー勤務、日本科学未来館 科学コミュニケーター等を経て現職。 雑誌Wedgeで「知られざる高専の世界」を連載。

3年で辞めようと思っていた私が覚醒した理由

 皆さん、こんにちは。この「卒業生の声」シリーズの取材・執筆を担当させていただいております堀川晃菜です。サイエンスライターとして書籍やWebの科学記事を手がけています。実は私も長岡高専の卒業生ということで、経歴はちょっと異色かもしれませんが、番外編として、私のキャリアと高専のつながりについて紹介させていただきます。

 こんなことを言うと・・・いきなり先生に怒られてしまうかもしれませんが(笑い)、誰かの参考になるかもわからないので、赤裸々にお話します。実は、最初はどうやって高専を辞めようか、そればかり考えていました。

 中学生の私は、正直なところ、まだ工学系に進む覚悟はそれほどなく、普通科のある高校も受験していました。ところが、合格したのは高専と私立女子校。当時、高専にはまだそこまで女子学生が多くなかったので、私にとっては「男子校か、女子校か」という究極の二択に思えました。理系への憧れもあり、国立ということもあり、高専を選びましたが、周囲に失礼なくらい、不本意丸出しの顔をしていたと思います。

 寮にも仕方なく、心がまえもないまま入寮しましたが、そこで私は自分の甘さを知ることになります。たまたま私は同じクラスの同級生と相部屋になりました。その彼女がものすごく努力家で、勉強熱心だったのです。テスト期間も彼女が起きている間は、何となく私も寝るわけにいかず、つられて頑張ってみると、その結果は成績に現れはじめました。そして、高専生には大学に編入学する道が開けていると知り、私はそれに懸けることにしました。

 1年生の頃は、大学受験を目指して予備校にも通っていたのですが、結果的に私がのめり込んだのは高専の勉強でした。同じ数学でも、英語でも、高専の先生に教わる方がおもしろかったのです。放課後、先生の教員室に通い、だんだんと理解するコツをつかみ、ついには苦手だった数学を解くことに快感すら覚えるように! 自分でも驚きです。

 一般科目でも、専門科目でも、今も胸に残る先生の言葉があります。知識にまつわるトリビアを教えてくれたり、時には技術者として、人としての生き方を問いかけてくれたりと、授業の中でいろいろなことを伝えてくれました。高専の先生はやはり「教育者」だと思います。

ライティングの基礎は高専で鍛えられた

 これは後から振り返って気づいたことですが、私にとって不可欠だったのは、実験実習の経験です。たしかに毎回、実験のたびにレポートを書くのは大変ですが、レポートという「型」に取り組むことで、書き方の作法が身に付きました。

 何より、教科書通りにはいかなかった実験結果、つまり失敗の原因をあれこれ考えながら、文献を調べてひも解いてゆくのが楽しかったのです。完璧な考察ではありませんでしたが、現象の真相に近づこうとするその過程そのものが、おもしろい。そして、先生もきちんとコメントをつけて返してくれます。

 当時はそれが当たり前だと思っていましたが、単に〇✕をつける丸付け作業ではありません。先生にも力量が求められます。これは高専の先生が教育者であるのと同時に「研究者」でもあるからこそできるのです。

 もう一つ、夏休みの課題図書の作文コンクールも自信を与えてくれました。最初は宿題なので、仕方なく読み始めた本が、これがまたおもしろくて。感想文も評価してもらえたことで、書いて表現することが好きになったのかもしれません。

 気付けば、あんなに嫌だったはずなのに、卒業する頃にはすっかり高専生活を楽しんでいた私。でもそれは学業の充実だけではなく、頑張った後の寮のあったかいご飯、他愛もないことで笑いあえた友人たち、温かい目で見守ってくれた先生や職員がいたからこそだと思います。

 この「卒業生の声」を集める中で、OB・OGの方たちとお話させていただく中で、いつも感じるのは、皆さんが今でも「高専とのつながり」をとても大切にされていることです。心を開くと、能力も開かれる場所、それが高専だと思います。今の私があるのは、間違いなく高専のおかげです。

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