このファイルは2002年6月16日に作成 2006年4月7日に文字の色とレイアウトを変更 ものづくり「で」教える



ものづくり「で」教える

ものづくり教育について思うこと




執筆の経緯

「ものづくり教育の現状と新しい在り方」というプロジェクトがありました。正式には「教育方法改善共同プロジェクト」という名前で,国立高等専門学校協会の第2常置委員会が企画し,東海・北陸地区の高専が担当し,福井高専が世話校でした。活動期間は平成12−13年度の2年間でした。(この活動は,平成14年度からも,福井高専の校長を研究代表者とする科学研究費によって続いています。私も,分担者の一人として,その活動に参加しています。)

ものづくり教育のプロジェクトは,2001年8月16−17日に大阪で研究集会を開き,私も,その集会に出席させてもらいました。そこでは,構造力学の実験での試み(ダンボールの橋によるブリッジ・コンペ)の経験を紹介する時間が与えられました。そのときの発表概要は,「ここ」からご覧いただけます。学科のページに収録された記事(創造教育事例)を,短くまとめなおしたものです。

このページに示したのは,私の参加報告です。集会の主催者からの,「参加した全員からのコメントがほしい」という希望をもとに書きました。
  



ものづくり「で」教える

「ものづくり教育」という言葉は知っていたが,その考え方や方法は知らないままに研究会に出席した。研究会が終わってみると,ものづくりの「論」や,ものづくりの合理化を目指すための「実践」はあるものの,ものづくりに関する「教育」が十分に整備されているわけではないことが分かってきた。

このような状況の中で,私が感じたことは,ものづくり「を」教えるということと,ものづくり「で」教えるということの違いであり,高専での教育の中で「を」と「で」を比べたときの,「で」の重要性ということだった。

現代のものづくりは著しく複雑化し,その性格は,要素技術の連係という内的な課題から,ものに対する社会的な要求という外的な課題までを統一的に処理するための高度な管理技術へと移行している。そのような状況のもとで,ものづくり「を」教えるとは,その複雑で高度な内容を伝えることにほかならず,それを高専で(あるいは大学でも)教え切れるものなのかどうかは疑わしい。最先端のものづくりに関する一通りの事がらについて話し,最新の話題を紹介することくらいはできても,そのような知識の伝達だけで工学教育の基幹部分が成立するものとは思えない。

ものづくりの仕事がいかに複雑化し,高度化したとはいえ,それをするのは,やはり技術者である。優れた結果を得るために,優れた技術者が必要であることに変わりはない。変化する(しなければならない)ものがあるとすれば,それは技術者の能力なのだろう。その変化とは,従来の能力をその延長線上に高めるというものではなく,従来は空白になりがちだった部分を充実させるようなものである。これまで重視してきた能力に,それとは質的に異なる能力を追加するようなものであり,技術者の守備範囲の拡大といってもよいだろう。

現代のものづくりの現場において,技術者には,自分の分野の問題を処理する能力に加え,異なる分野の技術者や,技術とは異なる分野の人々と理解し合うための能力が求められている。そのためには,自分の視点から見て何が問題であり;その問題を解決するために,自分がどのように考え;その考えにもとづいて,自分が何を,どのようにしたいと思っているのかを相手に伝えなければならない。しかも,相手が自分になびいてくれるように表現しなければならない。いわば,技術者が自己を情報化し,情報発信するということである。

技術者としての自己を情報化し,発信するということは,過去のどの時代にも,真に実践的な技術者ならば,分野の壁を越える・越えないにかかわらず,必ずしてきたことであろう。情報発信の能力を持つ技術者とは,ものに即して考え,ものに触れて行動し,ものを作り上げることができた人々にほかならない。アイディアの提示,問題の分析,理論的な検証,製品の試作や改善,様々な選択や決断など,ものづくりに関わるあらゆる営みを自分の経験として語ることができる技術者が,それである。

いつの時代にも,優れた技術者はものづくり「で」情報発信の能力を身に付けてきたと言えそうである。ものづくり「で」教えるという方法には,これに通じるものがある。ものづくり「で」教えることによって情報発信の能力が身に付くのなら,そのような教育によって,現代の複雑化し高度化したものづくりに対応できる人材が育成できることになる。現代のものづくり「を」無理に教えなくても,古典的なものづくり「で」教えることによって,現代のものづくりに参加できる技術者は育っていくように思われる。

平均的な高専生が作れるもののレベルで古典的なものづくりを行い,その過程の中で,ものづくりに関わる様々な営みを経験する;その経験を情報化し,発信する作法を学ぶことによって,現代のものづくりに対応できる能力を身に付ける。ものづくり「で」教えるというのは,このようなことである。

情報化の作法とは,技術の常識にしたがって自分の知識や経験を整理する方法のことであり,それ自体は少しも新しいものではない。それを取り上げるときの,従来の教育との相違点は,目のまえのもの(それを,自分の意図にしたがって作り上げなければならない)に即して,いわば主体的な自己として学ばせるという点にある。情報発信の作法とは,技術の常識にしたがって話し,書く方法のことであり,前者に関しては技術の世界で会話をし,発表をし,議論をすること,後者に関しては説得力のある整然とした文書を作成することに尽きる。これらにも,それ自体の新しさはないが,ものづくりを軸としたプログラムの中での取り組みとすることによって,従来とは違う位置づけができるようになる。

ものづくり「で」教えるといっても,それに関する一般的なやり方があるわけではない。現在もないし,将来においても,それほど確固とした方式ができてくるとも思えない。基本的な概念として,「で」の位置づけが定まることはあるかも知れないが,具体的な教育形態は学科により,科目によって色々に変化せざるを得ないだろう。ものづくりの対象としてどのようなものを選び,ものづくりに関わる多様な営みの中から,どの部分を選んで一つのコースの中に取り込むのかという判断は,それぞれの状況のもとでせざるを得ない。また,ものづくり教育という旗印を掲げたとしても,どのようにして学生の興味を喚起し,落後しそうになる者への手当を施すのかという個別性が強く,しかも困難な問題が一気に解決するとも思えない。そこでも,多くの工夫や判断が必要になるにちがいない。ものづくり「で」教えるということの効果を信じて,頑張るだけのことである。




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