段ボールの橋

−高専でもブリッジコンテスト−

Cardboard Bridges in a Load Bearing Competition at a Polytechnic

塩野計司 Keishi SHIONO 長岡工業高等専門学校

コンテストの興奮

  土木学会誌には,これまでにも「ブリッジコンテスト」の記事が二つ載っている。一つ目は,タイにある大学のサマーキャンプで行われたものの紹介で,10〜13歳の子供たちが対象だった(1)。二つ目は,日本の中学校で,技術科の授業として行われたものについての記事だった(2)。
  二つのコンテストは,行われた状況も同じではないし,参加する子供たちの年齢も違っていた。それにもかかわらず,2つの記事には共通に感じ取れるものが2つあった。一つ目は,橋を作っているときの真剣さであり,二つ目は,橋の強さを測っているときの興奮だった。どちらのコンテストも,授業としての成功を強く印象づけるものだった。

授業担当者の憂鬱

  私の学校には「環境都市工学実験(1)」という授業がある。半期のコースで,4年生が履修する。土質・水理・コンクリート・構造という4つの分野の乗り入れで,各分野の担当者が180分のクラスを7回ずつ受け持っている。一つのクラスの人数は20人前後である。
  私は構造の部分を担当している。一昨年までは,鋼材の弾性定数を測ることと,単純ばりで曲げモーメントの影響線を作ることをテーマにしていた。標準的なテーマ設定ではあるが,必ずしも最適なものだとは思えなかった。弾性定数の測定に関しては,対象になる物質は違うにしても,すでに低学年の科目(物理実験)でしていることだった。ひずみゲージを使うという経験は,同じ授業のコンクリートの分野でも得られるものだった。学生たちにしてみれば,新鮮味がないということになる。
  手持ちの機材が少ないために,1つのグループの人数が多くなることも問題だった。グループの人数が増えると,実験を「する人」と「見る人」への役割分担(?)は加速度的に進行する。「見る人」が増えることは言うまでもない。

高専でもブリッジコンテスト

  このような悩みを抱えていたときに,ブリッジコンテストという方法には引きつけられるものがあった。
  私が担当する「構造」の枠組みとして,次のようなものを考えた−段ボールの箱1つを材料とし,これを加工して支間が50cm橋を作る;荷重は支間中央の集中荷重とする;大きな荷重に耐える橋を作った人がエライ!
  エライというのは成績表によい点が付くということである。実験や実習のコースというと,レポートで評価することが多いのだが,ここでは,何を書いたかよりも,何を作ったかを重視したいと考えた。ちなみに,エライなどと表現したのは,橋のできばえを讃えたくなる気持ちを込めるためである。また,エライと声に出して言うことと,よい成績を付けるということは,本来よく似た行為だと思うので,このように書いてみた。
  載荷装置の寸法から決まる建築限界はあったが,構造形式や加工法については「何でもあり」とした。ただし,構造形式に関しては,段ボールが材料だという制約から,ほぼ全員が箱桁を採用することになった。
  競技なのだから,材料は公平に供給しなければならない。文具店から段ボール製の書類保存箱を買い込んで配布した。構造実験とは言っても,実際にすることは段ボールの工作である。これに必要な道具はカッター,カッターを使うときの下敷き,曲尺の3種類に過ぎない。段ボールの接着には,木工用のボンドを使った。
  これだけの品物を人数分だけ揃えれば,全員が「する人」になり,「見る人」を絶滅することができる。「何でもあり」の世界で作業「する」ということは,そのまま「考える」ことにつながっていく。期せずして,「一人ひとりが考える」という構図を実現することができた。

背景と内容

  高等専門学校ですることなので,小学生や中学生がするのと同じレベルでは問題がある。高専の4年生というのは,年齢的には,大学の1年生に相当する。
  しかし,私たちが置かれた状況は,コンテストの内容を一定の水準に保つのに有利なものだった。
  第一に,実験を履修する学生たちは,すでに1年間にわたって構造力学のクラスを受講しており,これが実験への橋渡しになった。もちろん,わずか1年のあいだに得た知識が,段ボールで箱桁を作成するという,相当に高度な問題を処理するために十分なものであるはずはない。しかし,たとえ初歩的な知識ではあるにせよ,それなりの時間をかけて学んでいることは大きな強みだった。
  第二に,テーマの数が減ったことの効果でもあるが,授業時間が豊富にあったことが大きかった。こちらの要素がより大きかったと言っても過言ではない。時間的な余裕があるので,「去年,構造力学で習ったことを思い出せ」「アイディアを練り上げろ」「手を動かして考えろ」「注意ぶかく設計図を作れ」などといった要求が出しやすい。日頃の,時間に追いかけられた授業では言いにくいことも,言いやすくなった。「材料が足りなくなった」と訴えてくる学生に対し,「そりゃあ困ったナー」と突っぱねて,「始めからやり直すしかないネー」と宣告しても,あまり酷いという気がしないですんだ 。彼らにしても,やり直しの中で学んだことは,それなりに大きかったに違いない(と 思いたい)。

試行錯誤

  時間的なゆとりがあったので,コースの中に試行錯誤という要素を取り入れることができた。この点が,この授業で一番の「てがら」かも知れない。
  学生たちは,橋の「概念構築−構造設計−製作−破壊試験−レポート書き」という手順を2度にわたって経験した。コースの半ばで1つ目の橋を壊し,どんなふうに壊れたのかを考えてレポートを書く。その考察をもとに2つ目の橋の製作に取りかかる。始めから強い橋を作ることもエライけれど,1つ目よりも2つ目のほうが強くなったら,強くなった分だけエライという見方も取り入れた。
  前に,この実験では作ったもので評価するという考えを説明したが,よいレポートを書くこともエライことに含めた。そうしないと,2度目の橋を作るときに優れたアイディアを出しながら,何らかの原因で敢えなく散った「挑戦者」たちに報いることができなかった。

載荷試験

  写真1に載荷の様子を示した。タイの小学生や日本の中学生と同じように,高専の学生も盛り上がった。誰にとっても,破壊試験というのは,不思議と興奮するものである。

写真1
【写真1】載荷試験−プルービングリングのダイヤルゲージを読みながら変位を加える。
  型鋼で作ったフレイムにジャッキを取り付けて,変位制御で載荷した。「段ボールの橋」を取り入れた1年目には,土の圧密試験に使う重りを使って載荷した。しかし,作品の中には100キロを超える荷重にも耐えるものが多く,重りをつり下げるのが大仕事になった。また,100キロを超える重りの落下には,大きな音と危険が付きまとう。次の年には,変位制御に変えることにした。重りを使ったほうが,橋に掛かった力の強さが実感できて興奮も高まるのだが,重労働・騒音・危険と重なって,方向転換を余儀なくされた。
  載荷試験の前に,橋の品評会をした(写真2)。人の仕事から何かを学ぶ,という体験を付け加えるための試みだった。クラスメイトが作った橋を手にとって,強いか弱いかを考えてみる。強い橋の1位から3位までを予想し,投票することにした。投票用紙には,なぜ強いと思ったかをメモすることにした。この投票でも,学生たちは盛り上がり,私はほくそ笑んだ。にぎやかな議論の中からは,的外れとも思われるやりとりも聞こえてきた。しかし,それはそれで良しとして,載荷試験が解決してくれることを期待した。
写真2
【写真2】橋の品評会−強そうな橋を選び出し,1位から3位までに投票する。

残された悩み

  図1では,強い橋として投票された回数(横軸)と橋の破壊荷重(縦軸)の関係を示した。つまり,横軸は強そうに見えたかどうかを示し,縦軸は本当に強かったかどうかを示している。

図1
【図1】強そうな橋としての得票数と実際の強さの関係
  強そうに見えた橋が本当に強かったという傾向も,あるにはあったが,それほど確かなものではなかった。回帰直線の寄与率は0.25までしか上がらず,そのような状況をよく表していた。
  強そうに見えたということは,学生たちの構造力学の知識に照らして,合理的だと思われたということに他ならない。しかし,彼らの知識は,棒の曲げに関するものに止まっており,箱桁の強さを言い当てるのに十分なものではなかった。
  棒の曲げに関する知識では対処できない問題でも,直観的に理解しやすい現象には,上手に対応できた場合が多かった。たとえば,集中荷重の作用点や支点上への応力の集中に対しては,1回目の実験で生じた「へこみ」がヒントになり,様々な対策が講じられた。自由奔放で,しかも的を得たアイディアが登場し,幾度となく感心させられた。
  しかし,上フランジの座屈や全体的な横倒れに対しては,多くの模型で発生した現象であるにもかかわらず,対策が進まなかった。棒の座屈さえ学習していない学生たちにとって,現象自体が理解しにくいものだったのかも知れない。一回目の載荷試験のあとで,ある程度の解説はしたのだが,大きな効果はなかった。
  「ヨーシ,1000,いった」「エーッ,まだ500なのニー」などと盛り上がっている学生たちの側で,私は少し暗かった。「ちょっと,難しいことをさせすぎたのかナー」と,見通しの甘さが引っかかってきた。
  また,今回の試みに対しては,「学生のための構造実験なのだから,構造力学に関する基本的な事項を理解させるために行うのではないか(その点は,どのように処理しているのか)」という批判や質問が出てくるように思われる。残念ながら,これに対する十分な答の持ち合わせはない。ここでは,批判とのすれ違いは覚悟のうえで,以下の点を書き述べておきたい。

実験の目的ということ

  これまで,私たちは,講義の延長線上に実験を位置づけることが多かった。学生実験とは,教室で説明した理論や方法が正しいことを,供試体という実体を使って「確かめる」ための場面だと考えてきた。このような理解をしておけば危険はないのだが,もう一方の事実として,こればかりだと息が詰まってしまう,ということがある。
  その時々のテーマが何であるにせよ,学生たちが求められるのは,理論と実験の一致を「確かめる」という一事にすぎない。そして,理論と実験が一致する感動を味わいなさい,という押しつけの臭いは打ち消しようもない。教室で教えていることに嘘はないのだから、「一致」は自明であり、筋書きどおりの「感動」が強要されることになる。
  もちろん,このような「感動」も,教育の中の大切な要素には違いない。理論と実体を乖離させてはならないことを理解するための貴重な体験である。しかし,実験をするということの意義が,これだけに止まってよいものだろうかと疑ってみたくなった。
  実験のあとで提出されるレポートの中には,必ず,一致して,感動したと書いてあるものがあった。このようなレポートを読むたびに,学生の律儀さには感謝するのだが,このような「考察」しか引き出せない実験のあり方に,納得できないものを感じていた。
  私が感じていたものは,このような律儀さを要求するだけで,有為な技術者が育ってくるのだろうか,という疑問でもあった。技術者には,とりわけその卵たちにとっては,何かを理解したり,確認することも大切であろう。しかし,技術者の使命が何かを「作る」ことにあるのだとすれば,技術の教育においても,作るという行動を引き出すための仕掛けが大切になる。「確かめる」のではなく,「作る」ことを目的にするという考えに行き着いた。
  ブリッジコンテストでは,強い橋を「作る」という目的が与えられる。学生たちは,自明なことを「確かめる」という,あまり元気のでない目的から解放されることになった。
  前の節で述べたような,いくつもの問題を抱えてはいるものの,「目的」の捉え方を変えることによって,ちょっと変わった実験ができるようになった。学生たちが元気になったのは,当初の思惑どおりだった。学生たちがこのやり方を支持してくれていると,私は感じている。何よりも良かったと思うのは,読んでいて嬉しくなるレポートが,続々と届けられるようになったことである。

  実験に使った載荷装置の製作は,金山秀男さん(長岡工業高等専門学校・環境都市工学科)にお願いした。工作の指導と載荷試験の記録には,土田勝範さん(同)の協力をいただいた。記して,感謝する。

引用文献

  (1)Chantawarngul, K.: カセサート大学における子供ブリッジコンテスト,土木学会誌,Vol.81, No. 12, pp. 58-59, 1996
  (2)沼田和也:中学校の授業で実施した「ブリッジコンテスト」,土木学会誌,Vol.83, No. 10, pp. 49-50, 1998


転載文献

  塩野計司:段ボールの橋−高専でもブリッジコンテスト−,土木学会誌,Vol.85,No. 3, pp. 47-49, 2000


Up 学科紹介のページに戻る